Thursday, February 01, 2007

いつか きっと 帰りたい 三宅島、避難解除から2年
2007年02月01日17時11分
 伊豆諸島の三宅島(東京都三宅村)で、火山の噴火による避難指示が解除されて1日で丸2年。噴火した00年に約3800人だった島民は、7割余りが島に戻った。しかし、火山ガスの噴出は今も続いており、帰れずに避難生活を続ける人がいる。総額6億円のオートバイレースなど島の復興に向けて本格化する動きを、取り残された人たちは複雑な思いで見つめる。

三宅島の立ち入り規制区域
 ボランティアや戻れない島民による団体「三宅島ふるさと再生ネットワーク」が都内で1月28日に開いたコンサート。品川区の都営住宅に住む玉城長之助さん(85)は、舞台からの「頑張ろう」との歌声を、うなずくように聴いた。
 島では80歳になった妻と2人で民宿を営んでいた。2年前、待ちに待った避難指示解除は、ぬか喜びに終わった。自宅がある島東部の三池集落を含む坪田地区は、有毒ガスが流れ込みやすい「高濃度地区」に指定された。同じ避難用の公営住宅に住み、一緒に帰島を心待ちにしていた仲間は次々に帰島した。
 避難指示の解除を機に、避難住宅から都営住宅への転居を求められた。近所は知らない人ばかりになった。自宅に帰れない人たちのために島が用意した村営住宅を申し込んだ。抽選に2度外れ、3度目の結果を待つ。指定が解除されたらすぐに戻れるよう、ガスで腐食した自宅も自費で修繕した。「オートバイレース大会もいいが、島民を戻す手だてがないものか。そうすれば親族や友達ら、島を訪れる人も増えるのに」。簡単ではないと分かっていても、こんな言葉が口をつく。
 国と都は1月31日、帰島時の引っ越しや自宅補修の費用を支援する制度を1年間延長することを決めた。いったんは打ち切りを発表していたが、帰れない島民たちの声を受け入れた。
 避難時に約3800人だった村の人口は、現在約2900人。「三宅島ふるさと再生ネットワーク」の昨年11月の調査では、回答した50世帯の6割強が「いずれは帰島したい」と答えた。帰島できない主な理由は「健康状態」や「自宅が高濃度地区内」だった。
 ふるさとネットのボランティアは、都内に残って散り散りになった島民たちを電話や訪問で1軒ずつたぐり寄せ、ようやく約200世帯、約350人の所在を確認した。学校に通う子どもがいるため夫だけが帰島した家族も50~30世帯になる、と村は説明する。
 仕事の合間に自転車や電車で走り回って玉城さんを見つけたのも、ボランティアをする練馬区の保育士、伊藤奈穂子さん(25)だった。見せてもらったビデオに映る、素潜りで貝やエビを取る10年前の玉城さんの生き生きとした姿が忘れられない。「みんなが島に戻れるまで、届きにくい島の情報を伝えたい」
 村は2年前、帰島する島民らに向けて210戸の村営住宅を用意した。戸数はその後は増えず、今は退去者の部屋を抽選に回している。村は「高濃度地区は特殊な事情だが、島外で暮らす島民に手厚い支援をするのは財政上難しく、悩ましい」と話す。

asahi.comより
 やっぱり地元にいたいよっ。

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